「企業倫理と危機管理」 -東京海上日動リスクコンサルティング株式会社-
■ TALISMAN「企業倫理と危機管理」全文 |
はじめに
今回は「危機管理シリーズ」その4として「企業倫理と危機管理」をお届けします。この危機管理シリーズでは、企業の存続を脅かしたり、企業の経営に深刻な影響を及ぼす事件や事故を広く"企業の危機"ととらえ、様々な角度からこの問題を取り上げてきています。従来、この種の危機に対しては主として地震や台風などの災害、火災・爆発などの事故、さらには製品への毒物混入などの例を中心に対策が講じられてきました。そこでは、全社的な危機管理体制を構築し、またマニュアルを作成することによって全社員に対応の徹底を図ることが重要であり、これによって効果的な危機管理が実施できるとされています。
しかし、最近発生している様々な危機の中には、こうした事故・災害等と少し性格を異にした企業内の行動規範や、より本質的に企業の文化が大きく関与していると見られるものがあります。例えば、本稿では1995年に発生した英国ベアリングズ社のシンガポール法人のデリバティブ取引の失敗をその典型例として取り上げています。この事件は、一人の若手ディーラーの無謀な取引が企業の破局を招いたものですが、ここでは同社内部にその引き金となる企業風土があり、それが一社員の非倫理的な行動となって現れたと分析されています。一旦こうした行為が明るみになると、それだけでその企業の信用やイメージが著しく傷つけられることは言うまでもありません。その意味で、倫理の問題は企業リスクに密接に関連してい� �と言えるでしょう。
最近のマスコミ報道を見ると、この種の危機に対し企業は「内部管理が徹底していなかった」という類いの反省のコメントを対外的に行うことが多いようですが、単に現場の監督不行き届きと片付けるのでは、根本的な問題は何も解決されないと思われます。倫理問題の絡む危機に対しては、社内監視を強化したり、物理的な危機管理組織を構築し、危機管理計画をたてるだけでは対策は十分ではありません。
本稿では、数多くの実例を検証しながら、企業が、またその従業員が非倫理的行動に走る問題の本質は企業文化にあり、これを是正する為には経営方針の中に企業倫理のありかたを明文化し、経営トップが信念としてそれを実践していることを従業員にはっきりと示すと共に、研修等を通じ全従業員にそれを浸透させ� ��いく工夫をすることが必要だという提案をしています。又、研修のやり方についても、ロッキード・マーチン社の了解を得て、同社の研修方法をケーススタディーの演習問題を交えて具体的に紹介しています。
1995年1月の阪神大震災以来、地震対策を中心に危機管理マニュアルの作成を中心に危機管理体制の構築に努めてこられた企業も多いかと思いますが、本稿が倫理という別の視点から危機管理のあり方を見直すきっかけになれば幸いです。
1.序論
企業の危機管理に関心をもっている殆どの管理職は、避けられない危機があることを認めるでしょう。危機管理の原則は、企業が危機に晒される機会を減らすよう努めなければならない点にありますが、努力しても避けがたい状況やハプニングが生じてしまうのが現実です。たとえば、ある石油会社が優れた施設保全体制をとっていたとしても、石油パイプラインが破裂して、環境保全が厳しく求められている地域に原油が流出してしまうかもしれません。又、地震が発生して会社の重要な製造工場が大きな損害を被ることもあるでしょうし、台風によって工場での生産に欠かせない原料となる農作物の収穫に影響が及び、しかもその原料が他から調達できないといった事態も考えられます。しかし、こうした危機は、残念ではあるが、実� ��に起きても経営者としては責任を免れられる可能性のある類いのものだといえましょう。
それとは対照的に、「避けられる危機」の場合は、危機管理の意思決定が厳しく問われるようになります。危機に対して準備体制が十分に整っていない企業の行動は厳しく追及される可能性が高く、また最終的に企業全体の危機につながるような倫理観に欠けた行動を認めたり、ましてそうした行動に企業ぐるみで関わることは、絶対に許されないでしょう。
経営者の間では、ビジネスにおける倫理というのは、主として個人の良心の問題である、と長年考えられ続けてきました。この解釈によれば、社員が、倫理的に問題のある振舞いや法律に違反した行為をした場合は、それは単にその個人の常軌を逸した行為であり、企業が管理しえない部分だと考えられます。しかしながら、最近のいくつかの事件は、企業における倫理について今までとは全く違う見方をすべきであることを示しています。それは、倫理に反する行為の責任は、直接的に企業の経営者にあるという見方です。
その顕著な例は、まだ記憶に新しいベアリングズ(Barings P.L.C.)の倒産に見ることができます。ベアリングズはロンドンに本拠を置き、200年以上にわたり事業を展開し、広く信用を集めていた投資会社(銀行・証券兼営)で、かつては「ヨーロッパ第六の勢力」と形容されたほど伝統のある、英国最古のマ−チャント・バンクでした。ところが、28才のトレーダーが、思慮分別なく無茶苦茶なタイミングで投資を続けたために、ベアリングズは10億ドルをはるかに上回る損失金を出し、倒産しました。
当初、ベアリングズは、若い社員の抜け目ない、悪だくみの犠牲となったかと見られていました。同社は、陰謀の標的となったのだと会長が推測したほどです。しかし、あっという間に倒産してしまった原因を探っていくにつれ、そうした事態を招いた責任は、幹部である上級管理職にあるということが明らかになったのです。彼らは、倒産を引き起こした張本人であるトレーダーに取引を承認する権限までも与えていたというミスを犯しました。そのため、本来うまく機能するはずの同行の受取金額と残高を管理するシステムを機能しないものに変えてしまったのです。一人の従業員に取引と取引結果の清算の両方を担当させることが、大きな過ちに結びつくのは火を見るより明らかです。この仕事のさせ方は、事実を知った多く� ��金融機関の重役たちの感覚からすると、「理解しがたい」ものでした。しかし、もしベアリングズの企業文化が、「リスクを冒すことを奨励する」ようなものであったとしたらどうでしょうか。規則を曲げてトレーダーにそうした取引承認権限を与えていたことも理解しやすくなります。伝えられるところによると、ベアリングズは、そのシンガポ−ル支店を監査した結果、現地の管理が十分行われていないという報告を受けたといいますが、結局その警告は無視されました。理由は、警告が出された当時、シンガポール支店が全社利益の40%を挙げていたからだというのが、この事件の経緯を知る人たちの一般的な見方です。同社が、シンガポールでは、個人の取引実績に基いてスタッフに報酬を与える方式をとっていたことにも注目す べきでしょう。こういった方式は、自己勘定による取引を奨励するばかりでなく、利益を稼ぐと思われている部下の行為には、上司の管理が甘くなる傾向があります。取引であげた利益は、上司を含め多くの人に分配されるからです。この分配されたボーナスの額は、4年間に4倍にも膨れあがり、営業利益の半分を占めるまでになっていました。
給与の過払いは、あなたが戻って支払わなければならない
結局、ベアリングズの失敗は、経営幹部が、倫理的な行動規範を、確固たる姿勢で打ち出していなかったことが元凶であると言えるでしょう。同行は、シンガポール支店の取引状況に関する報告に対し追跡調査も行わず、行内の規則遵守を徹底させることもしませんでした。問題のトレーダーが大規模な投機をしているという報告に耳を傾けなかっただけでなく、利益分配方式のボーナス制度を通じて、自己勘定による取引をむしろ奨励する姿勢をとりました。経営幹部は、財務上の責任よりも利益を優先する方法を選んだことになります。ベアリングズのビジネス慣行は、同社の倫理観について多くを語ることになりました。不運なことに、結末はあっという間に苛酷な形で訪れましたが、それは恐らく避けがたいものでした。
企業の非倫理的行為に対する一般の人々のそれまでの寛容な態度は、1980年代、ビーチ・ナット社事件を契機に一変したとみる専門家がいます。当時、ビーチ・ナット社はネスレ(ネッスル)社の子会社であり、親会社のネスレ社にその利益を納めなければならないというプレッシャーがかかっていました。
ビーチ・ナット社のCEO(最高経営責任者)は、他の重役たちが、同社の製品販売会社のうちの一社が供給している濃縮リンゴジュースが砂糖水と化学品で出来ている可能性が高いと疑っていることを知りました。CEOは、きわめて重大な決断を迫られることになりました。倫理的に対処しようとすれば、「果汁100%」として売っていたリンゴジュースが実はそうではなかったと判明したと公表し、流通しているその製品を回収するべきであったでしょう。そういった対処の仕方をすれば、同社の利益は落ちたでしょうが、企業としての評判は逆に高まっていたかもしれません。
残念なことに、同社のCEOは、倫理よりも利益の方を選びました。ビーチ・ナット社は、顧客に対する義務を放棄し、製品ラベルの表示を規制する法律を故意に犯すことになりました。米国の食品医薬品局(FDA)の調査によりこの違反事実が発見され、ビーチ・ナット社およびそのCEOの評判は、またたく間に地に堕ちてしまったのです。1987年、同社は、偽りの表示をつけたジュースを販売したかどで有罪判決を受け、その後まもなく問題のCEOも有罪となりました。
2.問題の本質は企業倫理
個人の倫理感の欠如が、結果に大きな影響を及ぼす可能性があることは明らかです。しかし、ビジネスにおける非倫理的な行為が、ほんの一握りの個人の欠点による、特殊な事件であると言いきることは出来ません。むしろ、そうした行為は、企業文化の甘さを反映している場合が多いのです。概して、その企業のビジネス慣行は、その組織全体の文化を映しだす鏡となっています。組織としての価値観や、経営幹部の態度が、社員の行動に表われてきます。社員一人ひとりの倫理基準が組織全体の基準よりも高い場合であっても、それが組織を倫理的過ちから救うことにはならないのです。
倫理的過ちは、深刻かつ重大な結果を招くことがあります。企業は、責任を問われ、訴訟に巻きこまれるといったことの繰り返しにより、急速� �疲弊してしまいます。新しい法律が制定され、取締りが強化され、罰則が増加されたために、このような問題が生じる危険性は、近年とみに大きくなっています。しかし、恐らくより重要なのは、倫理的な過ちによって企業の信頼性と評判が著しく傷つけられることでしょう。ビーチ・ナット社の例でいえば、同社は消費者の信頼を未だに回復しきれないでいます。現在、ダウ・ケミカル社とコーニング社の合弁であるダウ・コーニング社もまた、同様の憂き目にあっています。ダウ・コーニング社は、豊胸用シリコ−ンを製造していましたが、ここでもまた、経営幹部の犯した過ちによって企業としての存在が脅かされるような訴訟に巻き込まれる結果となりました。経営幹部は、製品の欠陥を指摘した社内報告を無視して製造を続けた のです。これにより同社の評判はがた落ちとなり、将来の見通しもたたなくなり、親会社の評判にも響くほどの事態に発展しました。
ダウ・コーニング社の行為に対する世間の怒りは、企業が一般的な倫理規範に従う能力を持たない、あるいは従おうとしないことに対する、消費者の間で急速に高まってきた不満の表われだといえます。人々は、道徳基準を持たず、己れ以外を顧みない態度をますます強めていくかにみえる企業に対して欲求不満をつのらせ、そして、企業が明らかに倫理に反した行為をしたとき、その不満が爆発するのです。事実、ケンタッキー州ルイヴィルにある危機管理研究所が行った分析によると、経営上の危機に関するマスコミの報道の中心は、パイプラインの原油漏れといった物理的な危機よりも、むしろ企業経営上の過ちにシフトしてきていることがわかります。この研究所は、特に急増しているのは経営に悪影響が出るタイプの危機� ��として、セクシュアル・ハラスメント(性的いやがらせ)、敗訴判決、製品のリコール、取締役の解任などを挙げています。これらの多くのケ−スは政府が特定の業界を対象とした調査を行った結果、浮かび上がってきたものです。要するに、具体的な、目立った問題が生じると政府の注意を引き、ひいてはその業界全体が調査の対象とされ、調査当局が適当と思われる改善策を提出するということが行われてきたわけです。
1994年、インテル社は、企業にとってマイナスイメ−ジとなるニュース報道の数が多い企業のリストの中でトップになりました。その理由は、ペンティアム・チップの欠陥問題と、その欠陥を一般大衆がどこまで深刻に受け止めるかという点に関し、誤った判断を下したことによるものでした。ゼネラル・モータース社がランキングの2位、キャタピラ社が3位になりましたが、この両社は長期のストライキに苦しめられた結果です。4位はマイクロソフト社で、ライセンス契約の方法がアメリカ司法省によって綿密に調査されているというのがその理由です。エクソン社が5位ですが、これは有名なバルディーズ号による原油流出事故が原因であり、この会社の評判にしつこく影響を与え続けています。6位にランクされたのはキダ ー・ピーボディ社で、国債取引の責任者が不法取引を行ったとして告発されています。キダー・ピーボディ社は、ゼネラル・エレクトリック社の子会社で、親会社のゼネラル・エレクトリック社自体も、政府との契約において非倫理的なビジネス慣習を行ったために、このリストに載っている点は特筆すべきでしょう。
3.罰則の強化
「政府に調査されるような事態を避ける」というのは、倫理的慣行を徹底させる動機づけの1つになるかも知れません。倫理的規範を犯したために罪を問われた会社にその後何が起こったかを見れば、倫理的行動をとることの正当性は一目瞭然であると言えるでしょう。アメリカでは、1991年に発行された連邦政府の宣告ガイドライン(Federal Sentencing Guidelines)が有益な指針を提供しています。このガイドラインによると、不正行為のあった企業への罰金などの制裁や執行猶予は、その企業の経営者が、自らの違法活動についての報告と調査にどれだけ協力したか、さらに、法律遵守プログラムを実行してきたかどうかに基いて調整されることになります。
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では効果的な遵守プログラムとはどういうものなのでしょうか。それは、何よりもまず監督体制を強化し、違反者には罰則を課すことによって、違法行為を防止することを中心に盛り込んだプログラムであるといえます(一歩進んだアプローチとしては、罰則と、模範となるような倫理行動をした者に対する褒賞とをセットにする方法があります)。宣告ガイドラインは、企業の管理職に次の取組みをさせることを意図しています。まず、法律を遵守する規範および手順を設定し、経営トップ層から人を選任して遵守効果の監視にあたらせ、違法行為をしそうな者には自由裁量による権限を与えないようにします。そして、社内教育と配布物を通じて、その企業独自の規範と手順の知識を効果的に浸透させ、監査と監視のプロセスを� ��じて法律遵守の徹底を図ります。さらに、従業員が、罰されることを恐れずに不正行為を報告できるようなシステムを作り上げ、適切な教育を通じて社内規範を常に守らせるようにし、違反を発見したときには的確に対処し、そして同様の違反の再発を防止するための手段を講じることが企業に求められます。
実は、「ガイドライン」というのは、言葉の使い方として多少誤解を招きやすいかもしれません。連邦裁判所は、このガイドラインに沿って、個人や組織に対し、「宣告」を下さなければなりません。本質的には、裁判所は、どの程度までを違反とみるかの基本線を決定しますが、量刑は、企業の違反状況およびその記録を裁判所が調査した結果によって、厳しくもなり、甘くもなります。
連邦政府の宣告ガイドラインは、企業が違法行為に起因する危機に見舞われたとき、法廷でどのように裁かれるか、という見通しとして役に立つ知識を提供してくれます。しかし、私(著者)の見方では、ガイドラインより効果の大きいやり方があります。それは、危機防止対策として社内の倫理管理プログラムを構築することです。
法の遵守を主眼においたプログラムを推進していくだけでは、根本的に危機を排除できる可能性は非常に低いのです。法律の文言に厳密に従うことが、将来起こりうる問題に対処する際に、一番簡単な方法だと考えがちです。しかし、企業が取組むべきことは、企業が持続的な形で利益が得られるような優れた規範を導入できるよう従業員を教育し、鼓舞していくことなのです。
4.倫理的な優良企業をめざして
ジェームズ・コリンズ、ジェリー・ポーラス両氏は、"Built To Last"という著書の中で、スタンフォード大学経営学部で6年に亘って実施した調査プロジェクトを取り上げています。これは、真に傑出した企業とそうでない企業との分かれ目になる特性を研究したものですが、それによると、将来性のある企業の最も重要な特性のひとつは、経営が順調なときにも不振なときにも企業を導く原動力となる高潔な価値観を、従業員の間にうまく浸透させることに成功している点です。そういった価値観の真価は、例えば、メルク社が結核治療薬として、ストレプトマイシンを日本へ輸出した時の決断に見ることができます。同社は、日本にストレプトマイシンを持ちこんでもさして儲からないだろうという認識はもっていたといいますが、メルク社の価値観が、人道的な決断を下させたのです。メルク社は 今や、日本で活動する米国製薬会社の中でも最大手にまで成長しています。この例は、確固とした価値観を築きあげてそれを守りぬくことが、長期的にみて必ずや企業の利益につながるということを示しています。
同様に、コリンズ、ポーラス両著者は、井深大(いぶかまさる)氏(1996年2月現在、ソニー株式会社ファウンダー・最高相談役)の将来に向けた視野の広さについて触れています。井深氏は、1946年、東京通信工業株式会社(現在のソニー株式会社の前身)を設立するにあたって、以下の経営方針(抜粋)を含む設立趣意書を起草していました。
- 不当ナル儲ケ主義ヲ廃シ飽迄内容ノ充実実質的ナ活動ニ重点ヲ置キ徒ラニ規模ノヲ追ハズ。
- 極力製品ノ選択ニ努メ技術上ノ困難ハ寧ロ之ヲ歓迎。量ノ多少ニ関セズ最モ社会ニ利用度ノ高イ技 術製品ヲ対象トス。
- 従業員ハ……一切ノ秩序ヲ実力本位、人格主義ノ上ニ置キ個人ノ技能ヲ最大限度ニ発揮セシム。
この、趣意書の宣言の中で最も注目すべきは、これが同社設立にあたって、まだ経営的に苦しい状況のときに出されたものだということです。こういった価値観は、後のソニーに受け継がれ、後々半世紀にわたって、会社を支えていく助けとなったばかりでなく、世界中で最も尊敬される会社の一つにまで成長させる役割の一端を担ったものだといえます。
ソニー社とメルク社の例は、企業の倫理管理プログラムの基本的な原理を浮き彫りにしています。そういうプログラムが、企業のビジネス慣行の中心に据えられると共に、個人の、また集団としての意思決定をする際の支えとなり、長期戦略計画を策定する基盤を提供するものでなければなりません。このように、倫理管理プログラムは社員と企業を結びつける絆の役割を果たします。社員は、危機に際しても、企業がはっきりと打ち出している価値観に沿って行動することを期待されているという認識をもつようになるのです。
倫理プログラムの内容は、企業によってかなり違うものになるにしても、ほとんどのプログラムに共通の要素があります。それは、行動規範を具体的に示した方針声明であり、文書化されています。また、方針とその背景にある企業理念を社員に確実に理解させるための充実した研修プログラムがあります。さらに、倫理違反にあたる行為の報告を徹底させるシステムや、倫理的な行動を習慣づけるという目標達成を支援したり、実際の行動を見直すための手順が存在します。
おそらく、企業倫理プログラムの最も重要な要素は、企業を率いる経営幹部が、方針声明に表わされた価値観を、完全に共有している姿勢を示すことにあるといえるでしょう。曖昧さは許されませんし、倫理的判断を求められるリーダーシップは安定し、一貫性があり、誰もがその行動の予想がつくものでなくてはなりません。
経営幹部は、自ら範を示しリ−ドしなければなりません。長期戦略を練ったり、目標を設定したりする場合に、経営幹部は倫理の問題に神経を遣い、企業行動を決定するいくつかの選択肢の倫理的な側面について積極的に議論していかなければなりません。また、人事考課、採用、解雇を含む人事管理も、企業の倫理方針を支える機能を果たすものであることを保証していかなければなりません。
多くの企業が、倫理研修プログラムを用意しており、それらは普通、まず社内の最上級管理職を対象に研修を受けさせ、倫理研修に対する責任ある姿勢を示すことから始められます。研修方法は企業によってかなりの違いがありますが、典型的なアプローチとしては、ビジネスの現場で遭遇するような種類の問題を実際にあるような形で社員に示す方法です。
トレーナーは、架空の状況を想定し、意思決定のプロセスを教えます。社員は、自分たちの直面した問題の倫理的意味合いを徹底的に見直すことを強いられます。この研修の中で社員は次のような質問を受けるでしょう。
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- 与えられた状況における問題点を挙げなさい。その状況下で生じる問題の性質と、具体的にどんな決定が下されるべきかについて述べなさい。
- 最終的にどういう方向に導いていくかを明らかにしなさい。その状況で得られる最良の結果はどんなものですか。
- その問題に関連する法律と規制を列挙しなさい。倫理的な検討は、問題をめっぐて、法的にどういう点が絡んでくるかを見直すことから始めなくてはなりません。
- 倫理的な問題点を列挙しなさい。
- 問題に関わりのある利害関係者を列挙しなさい。その決定によって影響を受けそうなグループや個人の名を挙げなさい。
- 考えられる解決策を挙げなさい。
- 6.で挙げた解決策のうち、非倫理的な選択肢を除きなさい。
- 残った解決策に優先順位をつけなさい。
- そして最終的に、倫理的にみて最善の解決策を責任をもって実行することになります。
10年近く前、マーチン・マリエッタ社は企業としての倫理プログラムを設けましたが、それは従業員に、倫理的行動の必要性と価値の両方を教える包括的な取組みとして、広く世間の注目を集めました。マーチン・マリエッタ社は最近、ロッキード社との合併により、ロッキード・マーチン社という新しい会社として再スタートしましたが、「米国を始め事業展開している国々において、倫理的な事業活動の規範を示す」つもりであると発表しました。ロッキード・マーチン社が講じた対策の第一歩は、企業としてのビジョンと、それを実現するための手助けとなる理念を明確にしたことでした。同社の理念の一部をここに紹介します。
- 同僚、顧客、株主、取引先及び一般大衆に対し倫理的行動をとります。
- 当社の使命として、優れた業績をあげる責任及び、顧客が当然期待する高品質の製品とサービスを提供する責任を果たします。
- 企業のビジョン実現に貢献するすべての分野において技術的なリーダーシップを発揮します。
- 株主の期待に応え、新しいビジネス・チャンスを積極的に追求する強力な財政基盤と収益性を高めます。
- コスト削減、効率化、継続的改善に取組むことにより高い競争力をつけます。
- 当社の強さの原動力となる多種多様な従業員に対し公平な待遇を行い、率直なコミュニケーションをとります。
- 社内外の課題に対処する際の決断力と対応の的確さを心掛けます。
- 従業員が住み、働く、国および地域社会の一員として積極的、かつ責任ある態度をとります。
ロッキード・マーチン社は、倫理的行動に対する同社の責任ある姿勢を強化すべく、従業員代表の協力のもとに倫理的行動規範を作り上げました。それを、一連の倫理研修プログラムの中で、全社員、コンサルタント、代理店から、下請け業者までに配布しました。これは、同社が社員のために毎年続けて行うことになる活気に満ちた研修の最初のものでした。この研修のキーポイントは、監督者(上司)が、直属の部下のための研修プログラムを実施することを義務づけ、それを経営のトップから順にラインに従って始めた点です。系列会社の社長は直属の部下に対する研修プログラムを先ず行い、その部下がさらに自分の部下に研修を施すといった具合に、最終的には会社の全組織の全社員が、監督者である直属の上司から� �気溢れる研修を受けることになりました。この過程は、「カスケーディング(連続した滝のような活動)」と呼ばれ、経営者が倫理的行動に全力投球をしているという姿勢を従業員全員にはっきり伝えるものです。
プログラム設立にあたって、ロッキード・マーチン社は大切な点に気づきました。それは、「大半の企業では、業績や財務上の目標は日毎、月毎、又は四半期毎にその成果を問われるのに対し、倫理、ビジネス行動、規則に従う姿勢について話し合われる機会は、それよりはるかに少ない。1年に1時間ということさえありうる。この違いを従業員は認識している。」ということでした。そこで同社は、指導者的立場にある者全員に、倫理研修プログラムに関わるよう義務づけると共に、倫理規範のしっかりした職場を作るよう全力で取組んでいるかどうかに基いて管理職の業績評価を行うことにしたわけです。
全社員向けの研修は、監督者による、導入スピーチと、2人の役員からのビデオによるメッセージ放映で始まりました� ��監督者は倫理に関するディスカッションをリードし、社員それぞれの職務に直接関係する倫理的な問題について考え、議論を行うよう指示しました。そして、企業のビジョン、価値観、理念について改めて理解を促すように議論が向けられたのです。
誠実、高潔、尊敬、信頼、責任、企業市民としての義務という、6つの理念について、社員の理解が一通り得られたのち、ロッキード・マーチンの倫理およびビジネス行動規範ハンドブックが配られました。社員は、ハンドブックに自分の名前を書き込んで各自が手持ちとし、また、各人の担当職域を管轄する「倫理キーマン」の氏名と電話番号も記入するよう指示されました。監督者の指導のもとに倫理規範の内容に関するディスカッションが行われ、「当社事業活動における倫理問 題担当室」の役割について受講者の間でもう一度考え直しました。倫理問題担当室は、副社長の一人が統率しており、倫理規範のしっかりした業務環境を整えるための全社的な取組みを監督する組織です。所長である副社長は、会長と役員で構成される倫理委員会に直属の形をとっています。こういった努力は、ロッキード・マーチン社が、倫理的行為に意欲的に取り組んでいる明らかな証拠を示すものでしょう。
ロッキード・マーチン社の、研修の最後の段階は、社員にビデオを見せ、その内容をもとに話し合いを行うことでした。ビデオのテーマは、倫理問題について活発な議論が期待できそうな2つのシナリオです。このビデオによる研修の意図は、いわゆる「正解」を出し、それについて参加者の同意を得ることではなく、彼らの思考を刺激し、倫理的行動の何たるかに目と心を開くきっかけとなるディスカッションを引き出すことにあります。
第一のシナリオは、企業の従業員が日常遭遇しやすい、比較的易しい問題を扱っています。会社で使われているソフトウェア・プログラムが欲しいと思っている若い女性従業員が登場します。プログラムをコピーすることはソフトウェアのライセンス契約に違反する行為であると知っている彼女ですが、ある友人が「こっそりコピーしてしまったらいいじゃない」とそそのかします。
第二のシナリオはより複雑です。ある担当者が、自分が書いた報告書について話し合うために直属の上司に会います。報告書には、顧客の注文した製品についてのテスト結果が含まれています。製品はテストに合格したものの、その担当者はテストのやり方が適切でないと考えています。上司はその考えに反対です。担当者は、上司の命令に従うか、それとも社内の他部門に、テストに対する自分の懸念を伝えるかの選択を迫られます。
第二のシナリオでは、その担当者はその懸念を会社側に報告することになります。その結果、担当者は、上司が怒って自分を不当に個人攻撃し始めたと感じます。担当者はそうした上司の仕返しとみられる行為を他部門に報告すべきかどうかを決めなければなりません。
これら二つのシナリオが含んでいるあらゆる問題点についてアドバイスが行われますが、重要なのは、シナリオの主人公の立場、そして関わりのある別の登場人物の立場の両方から、問題を検証する機会をもつことです。倫理の問題はきわめて入り組んだ形で表面化することもありますが、このプロセスを通じ、社員は状況をよく分析し、懸念があればそれを表明するべきだと認識する感覚を養うのです。また、そういった状況において懸念を表明したことで、仕返ししようとする者が社内にいれば、会社が後ろ楯となってその社員を守ってくれるということも、研修の中で伝えられます。
5.企業倫理プログラムと危機管理
基本的に、倫理的な行動を責任感をもって習慣づけていこうとする姿勢を長続きさせるためには、リーダーシップを育成し、教育し、又振り返りを行うといったプロセスを継続的に行う必要があります。しかし、こうした倫理プログラムへの投資の見返りは非常に大きなものとなります。危機管理の観点からいえば、そのような取組みは企業が危機にさらされる可能性を少なくし、いざ危機に遭遇した場合に企業が厳しい審判を受けるような事態に陥らないための防御手段となります。
企業が倫理的行動慣行を作り上げるには、色々な方法があります。倫理規範の違反は、結果として企業を危機のまっただなかに放り出すことにもなりかねないため、危機管理プログラムを構築する段階で、倫理の問題を十分に検討し、方針を明確に打� �出すことが望ましいと思われます。企業のコンサルティングに従事してきた経験から、私(著者)が効果的だと思うのは、まず、企業の経営方針声明の中に、その会社独自の価値観をはっきりと表明するよう経営幹部に求めることです。声明書の例を挙げてみましょう。
「当社は、その経営にあたり、安全かつ責任感ある方法で、社員、環境、そして当社がビジネスを展開している地域社会を守るよう努力する。常に経営上のリスクを小さくするよう努める姿勢を保ち、社員、近隣住民や、株主のために、予期せず起こる事件の影響を最小限に抑えることを固く誓うものである。」
以上のような声明は、企業の価値観の真髄をとらえるものといえます。企業が地域社会の責任ある一員となること、法的、道徳的な義務を認識し、その義務を間違いなく果たしていくことを世の中に向けて宣言しているのです。コンサルタントである私にとって、企業の方針声明に至るまでの一連の過程を観察するのは非常に参考になります。というのは、観察することで、その企業のもつ文化に対する認識が深まるからです。もし、経営層が企業にとって非常に重要であるといえる価値観について仲々納得できない場合は、社員が倫理的に行動していく上で役立つ指導をほとんど受けられないということになりがちです。
ひとたび方針声明について合意が得られれば、方針に述べられた価値観が、企業の文化と経営上の慣行の中にうまく根づくよう働きかけるのが、経営幹部の責任となります。多くの会社で、CEOが社員に方針声明を伝えるミーティングを開くことが行われています。他には、ビデオを使ったり、CEOの手紙を配布ないし回覧することで簡単に伝達するだけのところもあります。大切なのは、方針が経営層の信念を表したものであるということを、社員に十分に理解させることです。
倫理的行動がとれるようになる為の危機管理プログラムの第2の柱は、「事件報告制度」です。この制度の基本概念は、危機に発展するおそれのある事故や事件を社員が報告することであり、経営幹部は、危機につながる潜在的可能性のある全ての事件を、社員が確実に報告するよう導かなければなりません。
危機管理担当の経営幹部は、ある事件が、企業にとってどの程度まで脅威となるかの検証を行う権限をもちます。倫理違反により企業が危機に陥る危険がある場合は、火事や爆発などの事故による場合よりも、調査に時間をかけるのが普通です。多くの企業が、倫理問題担当室や倫理委員会を設け、倫理的な過ちの報告があった場合、追跡調査を行う責任を負わせています。他に、一般監査室にこうした責任を持たせる企業もあります。ここで大事なのは、危機管理にあたるチームが、危機につながりそうなどんな事件についても、情報を知らされていることです。そうすれば、チームは事件の意味合いを評価することができ、会社に対する被害を最小限にとどめる方法を準備することができるのです。
最後に、危機につながりそうな倫理の問題を、危機管理プログラムの重要性の確認および評価作業の中に含めることが有益です。現実は、企業が直面するような状況設定でシミュレーションを行ってみる中で、経営幹部は、自分自身、そして社員に要求される価値観を積極的に表明しながら、倫理の問題の多くの局面を効果的に探ることができるのです。
6.危機への対処
私達は、リスクのない社会に生きているわけではありません。企業は危機に悩まされ、その対応ぶりは、他のさまざまな利益団体によって監視され、又、評価されるでしょう。
1982年の「タイレノール事件」でジョンソン・アンド・ジョンソン社は、倫理観に基く模範的な対応例を示してくれました。当時、シカゴ周辺で、タイレノール(鎮痛解熱剤の名)のカプセルを飲んだ7人が死亡し、そのカプセルに青酸化合物が詰められていたことが判明しました。ジョンソン・アンド・ジョンソン社は、事件が起きたのはシカゴ地域だけだったにも拘らず、ただちに米国全土に向けてタイレノールのリコール(製品回収)通達を出しました。リコールにかかった金額は、およそ1億ドルと推定されます。
ジョンソン・アンド・ジョンソン社の創立者、ロバート・W・ジョンソン氏は、顧客と従業員に対する責任は、株主のために利益を稼ぐことよりも優先するという哲学を述べています。その哲学は、1943年までに、氏の息子によって引き継がれ、ジョンソン・アンド・ジョンソン社の有名な企業理念として形づくられました。この理念によれば、株主に対する責任は企業方針の優先順位の5番目、即ち一番低いものとして格づけられています。従って、タイレノールへの毒物混入による嫌がらせが発生した時、同社の長年の伝統である消費者保護への責任ある取組みの姿勢が揺らぐことは決してありませんでした。正しいことを行うという姿勢をあくまで貫いたこの行為により、同社は企業の歴史にその足跡を残し、一般大衆から「ジ ョンソン・アンド・ジョンソン社は、真の意味で顧客を大切にする会社である」という、厚い信頼からくる語りつくせないほどの莫大な恩恵を受けることになったのです。
ジョンソン・アンド・ジョンソン社の場合は、その危機の間、同社が被害者であると一般の人々が理解してくれたので、救われた部分も大きかったのは確かです。しかし、倫理的行動をとらなかった企業には、そのような庇護は生まれません。倫理違反に端を発する危機において最も重要なのは、当事者である企業が倫理違反を公式に謝罪し、状況を改め、再発を防ぐためにどういう手段をとったかを公表すること、そして、被害者に補償を行い、公に発表する全ての活動を積極的に進めることです。こうした手段を講じることは、先に述べた遵守プログラムが裁判所で企業を保護してくれるのと同様に、世論という法廷で企業を保護する支えとなってくれます。
7.結 語
企業の世界には、ありとあらゆる危機の原因が潜んでいます。企業行動の過ちが原因で起こった危機ほど、その企業の性格を如実に表すものはありません。非倫理的なビジネス慣行は、企業のリーダーシップ、経営システム、そして核となる価値観が告発されていると見られかねないのです。倫理的行動がとれるよう導いていくリーダーシップを発揮できないということは、企業の犯罪にたいする責任を、実際にその罪を犯した当人と分かち合うことと同じことなのです。
倫理面での不始末に対する処罰は極めて厳しく、情け容赦ないものです。民事、刑事両方の過酷な処罰が待ち受けており、また、当事者の企業に、ひいてはその業界全体に対し、より厳しい規制が課される可能性もあります。そうした処罰よりさらに怖いのが、容赦ない世論です。
一般大衆の間の悪評は、株主の信頼を致命的なまでに失墜させ、企業の市場における価値を徹底的に傷つける力をもっています。企業が、一般的倫理規範に照らして行動する努力をしなければならないことは明らかです。しかし、より重要なことは、企業の意思決定の原動力となる高潔さと倫理的行動に対する責任ある取組みの姿勢を確立することです。従業員の間に共通の目的と信頼感を浸透させることは、企業文化を創造する道なのです。それは、企業独自の価値観が、従業員の物の考え方と、その結果としての行動の両方に影響を与え、導いていきます。起こり得る危機から企業の資産を守るのに、そうした企業文化の確立以上の方法はないといえるでしょう。
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